南ア;鳳凰三山紀行 南ア・鳳凰三山紀行(34) 「鳳凰」 御座石⇒⇒燕頭山⇒鳳凰小屋⇒地蔵岳⇒観音岳⇒薬師岳⇒南御室小屋⇒苺平⇒杖立峠⇒夜叉神峠⇒芦安 |
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南ア・鳳凰三山紀行(34) 「鳳凰」 観音岳山頂 2枚 観音岳標識 繰りかえしになるが、鳳凰三山は地蔵岳(地蔵ヶ岳)、観音岳、薬師岳この三つの山の総称である。 この山塊は、赤石山系の主脈からは離れており、山がある支脈は甲斐駒ヶ岳の南の駒津峰から始まり、仙水峠、アサヨ峰、高嶺と続く脈絡の連峰である。 先にも記したが、この鳳凰三山は昔から三通りの呼び名があるらしく、近世の地誌類によれば山域は時代により認識が異なっていたらしい。 一山説では「地蔵岳」のみを指し、観音岳、薬師岳の二峰を指す二山説、三山すべてを指す三山説があり、山名論争が展開されてきたという。 だが、山麓地域では「鳳凰山」とする一山説が一般的らしい。 確かに、南アルプス北部地域の一般的山名を指す場合は、又、麓から山域全体を見た場合は「鳳凰山」と一括した呼び名でも良さそうである。 ただ、登山者が実際に脚を踏み入れ、山域を踏破する場合は、「鳳凰三山」と具体的な名称も欲しいような気もする。 南アルプス北部の中枢ともいえる北岳、間の岳、農鳥岳のことは、白峰三山が通称となっている。 山名の由来については、奈良期の女帝である孝謙天皇(奈良法皇)が療養のために早川町の奈良田温泉に滞在した際に、鳳凰山へ登頂したと伝えられている。 当山に奈良法皇が登り、その山名の法皇が鳳凰に転化して鳳凰山になったとする説があるようだ。 因みに「鳳凰」とは、古代中国で生み出された空想の鳥、四霊獣(龍、鳳凰、麒麟、亀)の一つとして日本へ伝わり以来、高貴なシンボルとして大切にされてきた。 そこから鳳凰という特別な名称がが生み出されたとされる。 十円硬貨の平等院鳳凰堂の尾根に一対となってとまっている鳥や、京都の金閣寺の屋根の天辺に風見鶏のようにとまっている鳥は、この鳳凰鳥である。 即ち、鳳凰鳥は仏を守り、仏教を守護する善鳥とされているのである。 鳳凰山、或いは鳳凰三山という名称は、山様の自然信仰からはじまり、これが仏教と深く結びつき、これらの信仰と仏教を守護するために、その象徴とされる「鳳凰」から名を頂き命名されたのであろう。 そして、それらの三つのピークを其々、仏教の代表的な仏や菩薩である地蔵、観音、薬師という名が付されたのであろう。 次回、 「観音岳と三仏」
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