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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(63) 「甲州・南アルプス林道」(2)

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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(63) 「甲州・南アルプス林道」(2)   .



先にも記したが、本来の南アルプス林道(当初はスーパー林道と言った)は芦安村と上伊那郡長谷村を結ぶ全長58キロメートルの長大なる林道である。

ただ甲州側では、1952年(昭和27年)に着工されて以来、今でも広河原以降は道路として開削はされたが、未だ保全管理、通常の使用はされていないようである。
おそらくは地形が急峻で、もろい地質のため、たびたび落石や土砂崩れが発生して保全が遅れているのかもしれない。


それにしても雄大さは県内トップクラスの林道には違いないが、景色は山、山、山の連続であり何かを見通すといった景色は余りない。 
とにかく山の大きさ、奥行きの深さは半端ではない林道であることは確かだ・・!。



暫くの間、半ば夢中で歩を進めているうちに、二股の出合いに達した。
案内板も標識もないため、どちらが広河原へ向かう道なのか全く不明である。

サアー困った・・!! 。

地図を確かめ地形を探りながら、ある程度の確信をもって左手へ進むことにした。
そこにはコンクリートのしっかりした橋が架けられていて、暫くして、ここが野呂川の出合であることが確認できた。 
即ち、今度は野呂川の左側を進む様になり、行く先は目的の「広河原」であることは確かなようだ。  



山の様相というか、野呂川谷の様子も以前よりも増して、一段と険悪になってきたようだ。
左に迫る山塊は急斜面で圧倒的にせり出し、そして右側の山域も褶曲を繰り替えし、一部は陰惨な大絶壁となって峡谷へ落ち込んでいる。

その野呂川の大峡谷は千尋(せんじん)のごとく切れ落ちていて、恐ろしいほどの、いよいよ深い谷底を覗かせている。

その切り立った尾根と谷の側面に、頼りなげに一線の道筋がただひたすら延びている。
その道は巨大な派生山塊、小さな派生尾根、その度に野呂川に落ちる大小の枝谷のために大曲、小曲がりを繰り返し、同じ風景の繰り返しで陰惨な風景は変哲がない。 


一介の人間など、この大原生の自然に押しつぶさんばかりである・・!! 。 

しかし、これらの人間がこの圧倒的な山容を切り崩して、一筋の道を強引に突けたのであった。 
その道を今、トボトボと自らの巣へ戻ろうと必死の辿って入りのである。
人間とはかってなもんで、今さっき享受を得るためにこの奥深い山中に分け入ったのに、今はただ、それらの南アルプスの圧倒的山域に、耐え難いほどの恐れをなしているのである。


引き続き、「甲州・南アルプス林道




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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(64) 「甲州・南アルプス林道」(3)   .



峠を出発して以来、無論、人の気配、出会いは全くない。 
数ある山歩きで、これほど人恋しく感じたこともなかっただろう。  

車道なのに車の気配どころか、路面に轍(わだち)なども全く無い。 
放置され、忘れ去られた状態の名ばかり(・・?)の林道は以降どうなるのか、逆に思案するほどである。 


3000m峰を一登りせいもあってか、体調もいよいよ疲労の極に達しているらしく、ザックは肩食い込み、身体はロヘロに、脚はガクガクと不調を訴えつつあるようだ。 

山岳の道のように急な下り勾配はないものの、緩やかな長い下りの連続は結構、脚部に負担がくるもので、このことは何度も経験済みであったが、それにしても・・?!。



秋の陽は何とかというように、早い・・!、
夕刻限には未だ早いが、両山塊が迫ってきている深い谷間のため、既に太陽は山陰げに落ちてしまっている。 
従って、尚一層うら寂しく感じてしまうのかもしれない。

それでも、遥か下方に開けた場所が薄ぼんやり見え隠れしてきた。  
きっと広河原に違いなかろうが、まだ、かなりの遠方彼方にもみえるが、やっと目標のものが見え出してきて一安心である。


大きて深い枝沢である「三好沢」というのを渡りきって、両側絶壁の林道を暫く進んだところで、名前の通りの「広河原」が遂にはっきりした姿を現した。 
げんきんなもんで途端に力が湧いてくるのを覚える。


すると二人連れに人物がこちらへ向かって、ユックリではあるが登ってくるようである。 
挨拶もそこそこですれ違ったが、熟年の夫婦連れでシーズンの紅葉でも観に来たのだろう。

思えば、峠からしばらくはシラビソ、栂やハリモミなどの針葉樹が主体であったが、下るに従って落葉前の広葉樹が彩を添えるように成ってきていた。 

そんな中ではあったが、小生には紅葉を愛でるほどの余裕はなかったようだ。 
確かに広河原周辺は黄色や赤が入り混じった丁度良い時節を迎えていたのである。



そして、体調ややゲンナリしながらも、どうにか待望の広河原に達した。
その名の通り野呂川の広い河原に開けた登山基地で、主に北岳や白峰三山のベースになっている。 
数年前、この地をベースとして北岳を踏破した記憶がよみがえる。 

それにしても南アルプスの上高地といわれる程の広河原であるが、未だ上高地には及ぶべきもない。


17時の最終便には十分、間にあうので、体のクールダウンのつもりで周辺を散策する。
北岳をやり終えたであろう連中が既に十数人たむろしていて、夫々に談笑している。 

しかし、仙丈ヶ岳を登ってきたのは小生のみではなかろうか・・?!。


次回、「甲州・広河原」 




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