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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(5) 「伊那・高遠」

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(標題はブログにリンクします)


 南ア・仙丈ヶ岳紀行(5) 「伊那・高遠」   、



 
 高遠城址公園から見た南アルプス(伊那市提供)



伊那北駅の待合の間で待機していたが、二番列車が到着したようで一段と賑やかになってきた。
甲斐駒、仙丈ヶ岳、鋸など南アルプス北部の名峰が連なる登山基地の駅ということで、ザックを背にした若者が集まりだしている。 
小生を含め、各自其々の目的地があってバス待ちしているものと思われる。
他に、未明の駅前には時折タクシーが発着していて、グループで来た人達はチャッかりそのタクシーを利用する者もいるようだ。


雨は、やや小降りになってきたが、未だ明やらぬ上空は厚い雲に覆われているようだ。
軽い物を口に頬張っているとき、突然、駅の職員が我等に向かって、「6時30分に戸台行きの臨時バスを運行します。乗車の方は窓口にて乗車券をお求め下さい」と叫んでいる。

定期路線バスよりかなり早い時間なので、待ってましたとばかり900円の乗車券を求めて、バスに乗り込む。 この時、荷物代を徴収しているようで、「大きさや重さはどのぐらいからですか・・?」と問うと「20キロぐらいですけど、その位なら結構でしょう」と以外に鷹揚(おうよう)であった。

結構な人数が乗り込んできて、果たして座席は確保できるかなと一瞬惑ったが、どうやら今度こそ席に有り着くことが出来た。
登山客をほぼ満載した臨時のバスは、白みかけた伊那北駅前を南アの山麓向けて出発した。
このまま戸台口へ直行するものと思ったが、途中の「高遠」で小停止している。 
どうやら降りる人がいたらしい。


ところで、この道・国道152号線(杖突街道)は諏訪(茅野)へも通じている筈である。
以前、バス旅行で諏訪から高遠へ、有名な桜見物に来たのが懐かしく思われる。
高遠の桜は「タカトオコヒガンザクラ」という固有の名称が付いていて、ソメイヨシノより少し小ぶりで赤みのある花を咲かせる。
「天下第一の桜」と称されて全国的に有名で、満開時には公園全体が薄紅色に染まり、白いソメイヨシノとは一味違った桜を楽しめるのである。
城址公園がピンクに染まる花のシーズンには、数十万人の人々が訪れると言う。

その他、「高遠」は歴史的にも名が残っている所である。
古来より塩運搬などの通商の道の中継地であり、戦国時代には信長に攻められ武田の守将・仁科五郎盛信討ち死の地であった。(長野県歌に登場) 

又、江戸時代は徳川譜代の内藤家(内藤藩)の城下町で、初代清成が江戸城外において家康の鷹狩にお供した際に、家康から「一時に馬で走ってきた所をやる」といわれ、木や草が繁った未開の地を走り、その範囲の20万坪(66ha)を拝領したといわれる。 
これが内藤新宿と言われる現在の東京・新宿一帯である。
当時の新宿は高遠藩の飛地であったのだ。

江戸初旬には江戸城下で有名な「江島生島事件」が発生、絵島(大奥年寄:重役)がこの地に遠流された所でもある。(絵島屋敷が現存)。


【 因みに、高遠町は2006年(平成18年)3月、 伊那市、長谷村と合併し、新「伊那市」として発足している。 従って、由緒ある高遠藩前身の高遠町という行政単位の名称は消えることになった。 なんでも117年におよぶ歴史に幕を閉じたことになる。 】


次回、「伊那谷参詣道




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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(6) 「伊那谷参詣道」  、




 
 杖突峠からの展望、眼下には諏訪盆地、霧が峰、蓼科山の山嶺が一望



序ながら、高遠を結ぶ歴史的街道について述べてみたい。
高遠は木曾・伊那地方、諏訪地方、そして遠州地方を結ぶ交通の要衝である。
古くは、権兵衛街道(高遠→伊那→中山道:木祖)、杖突街道、そして秋葉街道にも通じていて、現在の道路である国道152号線(実質は信州・上田と遠州・浜松が起点)に当っている。

杖突街道」は、甲州街道茅野宿(茅野市)から江戸時代の城下町高遠を経由して伊那へ抜ける道で、標高:1245mの杖突峠からは眼下の諏訪盆地、霧が峰、蓼科山の山嶺、八ヶ岳の山並みが開ける絶景の地である。
麓にはかの御柱祭で有名な信濃国一ノ宮「諏訪大社・上社」が鎮座している。


高遠から国道152号線を南下して、我らの向かう長谷村、大鹿村、そして飯田の上村からは通称・「秋葉街道」(高遠から秋葉街道とする見方もある)となり、遠山郷を経て遠州・火の神さま「秋葉神社」へ到る。 
この街道は所謂、参拝に使った信仰の道でもあった。


この街道が参詣道といえるのは、遠州側には火伏せの「秋葉神社」(秋葉山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神である・秋葉三尺坊大権現)があり、高遠から諏訪に到っては古来の神・「諏訪大社」が控え、更に大門街道(中仙道の裏街道)から上田、長野へ到って天下万民の「善光寺」へ辿り着く参詣の道、信仰の道でもあった。
その為か、街道筋の主要な部落には庶民の残した、多種な祭事が今でも色濃く残っている。


尚、通称、街道の呼び方は相手方へ向かう方の地域名を敬意を込めて呼ぶ慣わしがある。 この秋葉街道は信州側の呼び方で、遠州地方の呼び方は「信州街道」とも呼んでいる。


次回、「伊那の里




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