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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(57) 「ノスタルジック甲斐駒ケ岳」(2)

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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(57) 「ノスタルジック甲斐駒ケ岳」(2)  .



甲斐駒ヶ岳の開山

甲斐駒ヶ岳が山岳霊場(駒ヶ嶽神社)として開かれたのは何時ごろのことかは定かでないが、横手の駒ヶ嶽神社は駒ヶ岳山頂を本宮とし、その前宮であるという。 


由緒によれば
「神の代に建御名方命(諏訪大社の主神)がこの地に至りし時、雄大にして崇高な山の姿にうたれ、『この山はいと高く清すがすが々しき地なり、かれここに吾あが御親の神を祭るべし』と云うに始まる」として、改めて建御名方の父である大己貴命(大国主命)を出雲より遷宮したという。

また、「白鳳年間(六七三)役の行者・小角(おずね)が当山にて仙術を修め、富士山とともに当山を開闢(かいびゃく)したと伝えられている」 とも記す。

駒ヶ嶽神社は江戸時代には駒ヶ嶽権現とも称し、神仏習合の地であった。 
甲斐国志』には、山頂に駒形権現・馬頭観音、そして摩利支天が祀られていたことも記している。

山上のよく目立つ大きな分嶺を摩利支天と呼ぶのはそのためである。
なお、尾白川の渓谷に沿う千ヶ尻にも、竹宇の駒ヶ嶽神社前宮がある。


当時の甲斐側の登拝路は、山麓の横手駒ヶ嶽神社前宮から入る黒戸登山道と、竹宇駒ヶ嶽神社前宮から入る尾白川登山道の二筋があった。 

尾白川登山道は、渓谷に沿って登り、千丈ノ滝の下流で左手の急坂を辿って、五合目の屏風岩のところで黒戸登山道と合流する。 
そこから屏風岩の岩場を経て七合目の七丈小屋に達し、2日目は八合目で朝日を拝して山頂の本宮に到達するように開かれていた。
現在もこの登山道は、甲斐駒登山のメインルートとして登山者に利用されている。


勿論、信州側の北沢峠から登る人も多い。
かつては飯田線の伊那北駅からバスを利用して戸台口まで揺られ、戸台河原から長い距離を歩いて北沢峠へ達し、それから入山することが出来る。 

今は、(昭和50年後半以降)南アルプススーパー林道が開発されて北沢峠までバスで入ることができ、より一層入山が容易になっている。
 

次回、「仙丈ヶ岳下山道




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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(58) 「小仙丈からの下山」  .



 
 山頂より下山コースの小仙丈尾根



さて、仙丈ヶ岳からの下山である
小仙丈ヶ岳へのチョッとやせた砂礫の尾根稜線をたどることになる。

山頂直下に籔沢カールから仙丈小屋へ至る分岐を過ぎると、稜線は小仙丈ヶ岳カールと籔沢カールの両側が切れ落ちている細い尾根を下ることになる。
この痩せ尾根は氷河の侵食で削られた氷食山稜(アレート;山稜、特に痩尾根)の名残でもあるらしい。 

アレート」とは、両側の斜面が急峻な尾根のことをいい、登山用語では「痩せ尾根」とも言う。
これにはいろいろな呼び方があり、鎌尾根(槍ヶ岳北尾根)、馬の背(仙丈ヶ岳)、剣の刃渡り(信州・戸隠山)、金冷やし(丹沢。大倉尾根)などと呼ばれる場合がある。
アレート(仏: arete)のほかにグラート(独: grat)、リッジ(英: ridge)などとも呼ぶ場合もある。

氷河の作用(氷食作用)によって作られた痩せ尾根は、日本では特にアレートと呼ばれる場合が多く、氷食によるアレートは氷河の流下が進行していくことで峰の両側からカールが拡大してできる。
痩せ尾根が形成されて中でも特に急なものは、ナイフエッジ(英: knife edge;ナイフリッジ)とも呼ばれる

因みに、小仙丈の尾根道は砂岩や泥岩からなっていて、中には浮石などもあり足をすくわれて危なっかしいところもある。 
実は、砂礫や岩礫は氷河が消えた後に風化と侵食をうけザラザラ、ガラガラになったもので、特に、カール周辺の山肌にはこの傾向があるといわれる。 

今では殆どがハイマツや標高の高い植物等に覆われてしまってすでにその荒々しさは姿を隠しているとか。

とにかく所々に赤茶けた山肌が見えるほかは、全てが青い緑のジュータン(多種な高山植物も含んでいるのだろうが、目に見える殆どは這い松である)に覆われていて、それが果てしなく広がっている。


小仙丈ヶ岳の稜線を行く雲上の散歩も、概ね、そのピークで終わりをつげる。
その小仙丈山頂で最後の展望を楽しむ。 

北方向を望べば、巨大な文字通りの馬ノ背尾根がうねっていて、その中腹にチンマリと馬ノ背ヒュツテが見えていた。


無論、真正面には甲斐駒ケ岳の大迫力がいよいよ眼前に迫ってくる。 
特に山頂より正面に派生している駒津峰や双児山、右手に鋭く切れ落ちている仙水谷との凸凹が何とも見ごたえがある。 

それにしても双児山と北沢峠の間の傾斜、落差は相当なものだと改めて認識させられる。 
尤も、登降に関しては峠から甲斐駒ケ岳への登りには仙水谷、仙水峠を経て駒津峰から甲斐駒本峰をやり、下りに双児山から北沢峠へ降りるのが一般的らしい。


次回、「自己流・山での下降法




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