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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(55) 「東駒ケ岳」

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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(55) 「東駒ケ岳」 .



 
 小仙丈尾根より東駒と鋸岳



順調な雲上散歩であるが数箇所、慎重を要する岩場もあったが、難なく通過する。
振り返ると、藪沢カールと小仙丈カールに突き上げられた仙丈ヶ岳山頂も指呼の間に望め、あらためてその壮大さ、大迫力に感服つかまつった次第である。

又、特筆しなければならいのに、ついつい後回しになってしまったが、山頂からの眺めも秀逸であったが、道々、右手には国内第2峰・北岳(3092m)が野呂川源流部の大峡谷から突き上げていて、そのピラミダルな姿が視界から離れない。 

数年前の同時期、同僚と登攀を済ましているので、懐かしさも込めてシミジミ見入っている次第である。


そして、真正面には鋸の連山とその右端に淡白く輝く「甲斐駒ケ岳」、そして、甲斐駒の連なる早川尾根の栗沢山やアサヨ峰も大きい。
尤も、こちら信州側では、戸台河原の入口標識にもあったように甲斐駒ケ岳を「東駒ケ岳」と称しているようである。

右端には鳳凰三山(地蔵岳;2,764m、 観音岳:2,840m、 薬師ヶ岳:2,780m)の姿も良い。 この山塊は1970年5月に地蔵岳から夜叉神峠まで縦走しているので、特に懐かしく思い出される。 
特徴的なのが地蔵岳頂上に屹立するオベリスク(高く長い直立した石柱)で、何処から見ても分り易い。 


しかし、何といっても巌と聳える甲斐駒の特異な姿である。
本峰頂のすぐ横、又は直下に「摩利支天」という巨大な山塊、岩山が迫出していることであろう。 
岩山は標高約2,820メートルで、方位的には南東方にあり、仙水峠からは真正面に見える。 山頂には護身や勝利を司る女神・摩利支天がまつられている。
石碑やほこら、摩利支天像、鉄剣などが奉納され、所狭しと林立しているという。

摩利支天へは一般の登山道はないが、駒ケ岳の登山道から岩場を下り、鞍部(コル)に出ると、山頂に行く踏み跡がある。 
ただ、鞍部までの下りが危険とされる。


因みに、「摩利支天」は仏教の守護神の一神とされ、陽炎(かげろう)を神格化したもので太陽や月の光線を意味するという。 
即ち、陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かず、隠形の身で自在の通力を有すとされ、これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があったとされる。

日本で中世以降信仰を集めたようで、楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。 
又、毛利元就、山本勘助(地元、甲斐・武田信玄の伝説的軍師)、前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。

日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、その実例として、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、そして駒ヶ岳があげられる。


次回、その本峰・駒ケ岳について一筆




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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(56) 「ノスタルジック甲斐駒ケ岳」  .



 
 山梨側から望む甲斐駒ケ岳(フリー画像2枚)


 
 古くから信仰の山として栄え、山道には祠や石碑、不動尊、仏像などが置かれている



【ノスタルジックの甲斐駒ヶ岳】 ,

登山に夢中になっていた昭和30後半から50年代、どれほど中央線の列車に乗っただろうか。
新宿発23時45分や23時55分の鈍行の夜行列車に乗ることが多く、列車はいつも登山者やハイカーが列を成して溢れていた。
その後、国鉄がJRになり特急など増便されるに及んで、夜行列車は殆ど廃止されてしまったようだが。

昼間の中央線を利用するのは極わずかであったが、沿線には奥秩父の国師岳、甲武信岳、南アルプスの北岳・仙丈岳・それに鳳凰三山・八ヶ岳・槍や穂高、後立山連峰の北アルプス、それに木曾谷、伊那谷のアルプス群と、軒並み著名な山塊が次から次と現れる。 
全てが懐かしい山群であった。


その中に、甲府を過ぎたあたりから、左手の車窓に甲斐駒ケ岳が堂々たる白い山容を見せ始め、その勇姿が目前に迫ってくる。 
甲斐駒ヶ岳は何時もその度に気になる山であった

しかし、30年ちかくも色んな山を彷徨した小生も、今は70歳を越えてしまった。 
その間、何故か、どうしてか「甲斐駒ヶ岳」だけは登る機会を失ってしまったのである。
果たして、この後、あの岩稜険しき山のピークに立てるかどうかは、はなはだ疑問を生じてしまうのである。



それにしても甲斐駒ケ岳は、名前からして甲斐の国を代表する山塊であることは一点の曇りもない。
甲斐駒ヶ岳は標高2965メートルの堂々たる山容で、山梨県北巨摩郡と長野県上伊那郡の県境に位置している。 

甲斐駒ヶ岳あるいは単に甲斐駒と呼ぶのは甲州側の名称で、信州の伊那地方では東駒ヶ岳(東駒)と呼ばれているらしい。 
伊那には何といっても頭上に中央アルプスの木曾駒ヶ岳(西駒;標高2956m)という、これまた名峰が君臨しているのだ。

それにしても、これほど甲斐の地域に密着していて、そのものずばりの山名も珍しいのではないか・・?。


甲斐駒ヶ岳は、その名の通り甲斐の駒、名馬からきた名称であろう。 
周知の如く駒ケ岳という山名は全国に数多い。 
何れも、駒すなわち馬にちなむ山名であり、山の形が馬に似ている、残雪による山肌の模様が馬に似ている、山麓に古代の牧があったことによる馬にまつわる伝説がある、などを由来とするものが多いが、甲斐駒ケ岳はそれだけでは留まらない。

駒は高麗(こうらい、こま、高句麗のことで、古代の朝鮮王朝)に通じ、山麓に古代朝鮮からの渡来系氏族が住んだこともあるらしく、山上、山中には渡来系の神や半島の高句麗や新羅(何れも古代の朝鮮王朝)などからもたらされた仏像や石碑が祀られたケースもあったらしい。


黒駒伝説と高麗人の里である甲斐国は古くから名馬の産地として知られていた。
古くは大和朝廷の時代に諸国の牧馬から馬が供給されていたが、特に甲斐国造(古代の地方国の名前)が貢上する馬は、「甲斐の黒駒」と呼ばれ、国内では代表的な名馬であった。

北杜市白州町から武川町にかけての一帯には、平安時代の頃には大きな牧場(まきば)が数箇所があって、毎年朝廷に30頭以上の野馬を献じていたという記録もある。 
現在も牧原などの字が残る。


次回も回想の甲斐駒ケ岳続きます。




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