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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(53) 「千丈ヶ岳・・?」

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  南ア・仙丈ヶ岳紀行(53) 「千丈ヶ岳・・?」   .



 
 山頂岩場の影に、風雨に晒されてひっそりと置かれている仙丈ヶ岳(千丈ヶ岳)石碑




仙丈ヶ岳はお花畑の華麗さもさることながら、男性的な巌の山容である甲斐駒ヶ岳に比べて、女性的ななだらかな山容から「南アルプスの女王」とも称される。

女王は両脇に三女の小仙丈ヶ岳(2855m)と次女の大仙丈ヶ岳(2960m)を従えていて、さしずめ三姉妹といったところか。 
それにしても、長女の仙を差し置いて次女の名前が大仙とは、これいかに・・?。

勿論ながら仙丈ヶ岳は日本百名山、新日本百名山、花の百名山、新・花の百名山、山梨百名山に選定されている。


日本百名山」の深田久弥氏も仙丈ヶ岳のことを、
『 私の好みで、日本アルプスで好きな山は北では「鹿島槍」、南では「仙丈」である。何よりその姿が良い。単純なピラミッドでもなければ鈍重な容量でもない。 その中で仙丈の美しさはその姿にあり、軽薄さや鈍重さが無く、スッキリとして品があり、 ちょっと見ては気づかないが、しばし眺めているうちに、その良さが分かってくるといった山である。』 と称賛している。


地元の「古誌」等には「千丈ヶ岳」と記載されているらしく、「」とは長さの単位であり、「仙丈ヶ岳」という山名は、この山が高いことを比喩的に表したものとも言われている。

1丈の長さは約3.0303mであり、従って、千丈は凡そ3030メートルになる。 
又、仙丈ヶ岳の標高を丈を単位として表すと約1000.79丈となる。

往時、いくら三角測量法を行ったとはいえ、ろくな測量技術も機器もなかったこの山が一千丈の高さを持つと断じた古人の検察には感服するほかない。



因みに、丈(じょう)は、尺貫法における長さの単位である。
1丈は10尺と定義されていて、日本では明治時代に1尺=(10/33)メートルと規定されたので、1丈は約3.03メートルとなる。

丈は古代中国に由来するとされ、「丈」は長い棒を手に持った形をかたどったものであり、そこから身長、身の丈(みのたけ)を表すようになった。 「丈」は元々は成人男性の身長を基準とした身体尺であったとされる。( 「丈夫」は元々は身長1丈の男の意で、そこから一人前の男の意となったとする。 尤も、1丈ほどの大男は実際には存在しなく、近年のギネス記録でも2,47m:トルコの男性らしい ) 同じく長さの単位に間(けん。1間=6尺)があるが、間が土地の測量や距離の計測に用いられたのに対し、丈は物の長さや高さを計るのに用いられた。 単に丈(たけ)は、人や物の高さを示すともされる。 例えば「身の丈」また、1丈四方の面積のことを方丈(ほうじょう)と言い、その広さの部屋や建物の事も方丈と言った。

仙丈ヶ岳の名称は、他に頂上部のカールの広さの千畳から転じたものであるとする説もある。



山頂にはいかにも古そうな石仏や石標が半分壊れながら置かれていて、古くから登拝の山だったらしいことが判る。
やはり3000m峰、千丈の山は古き時代、信仰の厚い古人達は放っておかなかったようだ。

何でも、山頂から西へ延びる地蔵岳や地蔵尾根にも、所々に石仏や石碑が道標をかねて置かれていたらしく、中尾地区には「中尾講中」、「千丈行者」なるものも存在していたという。 
中尾はこの地蔵尾根の末端にある集落の名、千丈行者はこの尾根から仙丈ヶ岳を開いた山岳行者ともいわれる。

山名に因んだ思われる「千丈行者」の氏名や素性や成果に関する資料は現在のところ見当たらないが、千丈ヶ岳の山頂には多くの石仏が奉納されているところをみると、千丈登山講が組織され、信仰登山が行われたことは確かなようである。

ただ、駒ヶ岳のように多くの行者や大衆信仰の霊山として隆盛した姿は見当たらず、しかも、山麓はじめとしてこの周辺地方に千丈ヶ岳の供養塔等は見られないらしく、この山の信仰が広く布教し発展することはなかったようだ。


次回、 「下山




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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(54) 「仙丈ヶ岳より下山」  .



 
 小仙丈尾根からの仙丈小屋への分岐標識


 
 小仙丈尾根の右手に広がる小仙丈カール


 
 小仙丈ヶ岳尾根よりの北岳と富士


 
 小仙丈尾根とウラシマツツジ紅葉


 
 紅葉のウラシマツツジ


いつまでも視界を全開放して黙して座っていたい山頂だが、さすがに時間の都合もあるので、30分ほどで腰を上げて下山開始する。

帰りはお天気もほぼ回復したことだし、従って当初考えたいた通りの見晴らしのいい小仙丈ヶ岳の尾根道を下り、懐かしの五合目の大滝の頭コースへ復帰してから北沢峠へ戻ることにする。
更に、この後は甲州側の南アルプススーパー林道から野呂川出合、そして広川原へ至るルートを下山することにした。


間もなく稜線上にある仙丈小屋へ至る分岐を通過する。
先程は小屋から右手方向に山頂を目指したが、こちらは丁度反対側のルート(小仙丈ルート)に相当する。

頂上からの下山の途、辺りをベールのように包み込んでいたガスが、今度こそ完全に吹き飛んで、上空には白雲がたなびくノミの紺碧の青空になった。
実は、この状態を待っていたのであり、実に爽快である。 


小仙丈ヶ岳へはキバナシャクナゲが混ざった這い松の中の道を歩く。
無論、既にして展望は極上である。

白根三山(北岳、間の岳、農鳥岳)から甲斐駒ケ岳、鋸岳までの隣峰はもちろん、その向こうに八ヶ岳・奥秩父そして北岳のすぐ横に優雅な霊峰・富士山が仰ぎ見られる。
目を転じれば雄大な伊那谷の向こうに中央アルプス、その右に次第に遠く御嶽・乗鞍・北アルプスの全連嶺、遥か白山までも見える。
加えて、眼前にそびえる本峰への稜線とその東側を巨大にスプーンカットした小仙丈沢カールの眺めがまた雄大。


カール斜面は這い松の緑に加えて、ナナカマドが紅葉の筆触が加わり一層見応えがする。
さらに歩を進めると、驚いたことに藪沢カールの斜面は、濃い赤のウラシマツツジが所々、群生して紅葉に染められている。

峠の長衛荘に同宿した人に教えられたところでは、今年はめったにない草紅葉の当たり年だそうだ。
確かにダケカンバやナナカマドの低木帯ならともかく、這い松と高山植物だけの高嶺がこんなに鮮やかに染まるのは見たことがない。
いい時に登ったものだと、いよいよ嬉しさ極まりなし。


カールを真っ赤に染めるウラシマツツジは高山性で、通常山でよく見かける樹性のツツジとは異なり、地面すれすれ極端な這い性を伴いながら群生する。 どちかといえばコケモモを大柄にしたような特徴あるツツジである。 花は黄白色で釣鐘状の花をつけ、終わると8〜9mmの果実をつける。 実は最初緑色だったものが、熟すにつれて赤色から黒色に変色する。 葉は縞網模様の文様が特徴で、秋に赤く紅葉する。 葉の表裏面のいちじるしい網目模様の特徴からウラシマ(裏縞)ツツジという。


次回、「甲斐駒ケ岳について




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