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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(49) 「仙丈ヶ岳山頂」

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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(49) 「仙丈ヶ岳山頂」   .



 
 山頂稜線・・「山頂が見えたぞ・・!」


 
 仙丈ヶ岳山頂標識




その上を、一陣の風が吹き抜ける。
ガス(雲)の流れは活動的で、黒く澱んでいるのが眩しいほどの白さに変わったと思ったら、やがて一点の青空が顔を出す。 
この時、地上の山塊は濃いコントラストで、圧倒的に迫ってくる。
特に、後方、または左手に甲斐駒ケ岳とそれに連なる鋸岳の雄大さは他を圧倒している。
甲斐駒へは近いうち必ず挑戦することを心に誓うのである。


頂上が近いせいもあり、又、ピークへ連なる尾根道は比較的歩きやすく、自分でも不思議なくらい快調な足取りである。

時折、部分的に目に飛び込んでくる重畳(ちょうじょう)たる山並みは、パノラマ風景こそ得られないが、その壮大さを充分に想像できるのである。

次第に高度を稼いで、やっとピークに達した・・?!、と思ったが、似せの頂上であった。 これらを二つ、三つやりすごして、気が付くと頭上から人の声、気配が感じられる。 

そして、どうやら本邦山頂へたどり着いたようだ。


積み重ねた岩礫の上に小さな祠が鎮座していた。 
おもむろに両手を合わせる。

すぐ側に、「東芝山岳部」の遭難碑があった。 
ここにも一礼・・!。
東芝山岳部は昭和42年の冬、この仙丈ヶ岳・山頂付近で遭難したようで、同僚の岳人が遭難者の供養のために建てたらしい。

お疲れさんでした・・!! 」 
若々しい男性の励ましの声が響いた。

ハイッ、どうも」と、苦しい息ずかいで答えた。 
そして、何の気なしにすぐ横へ
ドッコイショと腰を下ろした。

気が付くと小生と同年輩の単独登山者らしく、異なるのは巨大なザックを横に置いてあった。その方はテントを担いで縦走を楽しんでいるらしく、この後、仙塩尾根から塩見岳までむかうという。 
相当な健脚の持ち主と恐れ入ったしだいである。

やはり経験豊富で、大学の山岳部で経験を積んで以来、単独か数人の極く親しい数人で山を楽しんでいるという。 
テント暮らしや携帯荷物の事をいろいろ話してくれて、

山は親しい仲間か単独登山に限りますよ、自分のペースで登れて登山を本当に楽しめますからね 」といいながら、美味そうに一服つけていた。
特別、同様な単独行者の小生を気使って言っているのではなく、自分の山に対する信条を語っているのである。


しばしの間談笑し、小生好みのレモンを半切り差し上げた。
アッ、これはいいですよね。 今回、忘れたけど私も愛用してますよ」という。
一服の後、大きなザックを背に着けて、「そいじゃ、失礼します」といって、先ずは大仙の方へ向かっていった。

後姿を拝見しても、如何にも山慣れしている姿が覗える。



岩稜帯の頂上は思ったよりも広く、既に数人の人が憩っている。
そして、向こう側へ回ってみると『仙丈ヶ岳・3032米』の指標を確認した。



【ところで、最近では山頂表示には「3033m」と書いてあるらしい。 
国土地理院の地図によれば「3032.6m」と記載してあり、少数以下四捨五入して3033mにしたのだろう。】


遂に、我が頼りない二本の足で、この偉大なるピークに「立った」のである。
1976年(昭和51年)10月10日、午前9時25分 であった。


次回、「山頂に立つ・・!!」




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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(50) 「山頂に立つ・・!!」  .



 
 仙丈ヶ岳山頂


 
 山頂よりの方向標識




遂に、我が頼りない二本の足で、この偉大なるピークに「立った」のである。
1976年(昭和51年)10月10日、午前9時25分 であった。




人間が二本足で「立つ」ということ・・!! 】

『 何よりも人間が自然の一つとして「立つ」ということは、常に一切の哀歓を治めた世界に対する一つの抵抗である。 人間をとりかこむ諸々の対象は、人間より遥かに安らぎ地の上に横たわっている。 
名園の一つの大石を前にしたとき我々が感じるのは、それはもう大いなる安定感によって、心洗われるのである。 
だが、「立つ」ことによって人間には大いなる、多くの空間が開かれた。 
人間には、人生観、世界観があるように、文字通り「立つ」ことによって人生や世界をそこに観るのである。 
地球のの蒼茫(そうぼう;見渡す限り青々と広いさま)とした大地と無限の宇宙を前にして人間の観る物は貧しいが、しかし、あらゆる方向に人間は生きることが出来る。 
何よりも「立つ」ことは、眼と耳とを地から離し、真の遠方への感覚を得ることが出来るのである。 
人間の視覚と聴覚とは、身辺の物から人をかりたて、遥かなるものへと押しやり、遠い地平から何万光年の星々の光へ至り、更に、不可視の美を観たり、聞こえざる音楽を聴くことも出来る。 
人間が「立った」意義は深い・・!!。
 』 

或る印象的な文面のメモより




仙丈ヶ岳の山容は写真などで見て多少は判っていたつもりであったが、この山頂、頂上部分は想像していたより狭かった。
頂には既に数人の人が其々に憩いを取っていた。

周囲を覆っているガス、霧も時折サーッと吹きぬけて、合間から山頂周辺が眺めることができて、その豪快さに圧倒される。

馬の背や稜線上での展望は道々望めてきたが、加えてここでは南側の眺めが初めて開け、巨大な稜線上が波のように畦って(うねって)彼方に延びているのが確認できた。 


次回、「仙丈ヶ岳の尾根




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