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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(43) 「松本の高校ワンゲル部」

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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(43) 「松本の高校ワンゲル部」  .



 
 馬の背稜線上の分岐標識


 
 馬の背に出現した這松群


  
 馬の背より望む薮沢カール



未だ、すっきりした展望は望めないが、ガスの動きも活発なってきているので、馬の背辺りに達する頃には視界が得られるかもしれない。 
望みを持ちたい・・?!、


ザックを下ろすまでもなく一息入れて馬の背ヒュッテを出立した。
樹林帯の急登がしばらく続く。 
植生がさすがにダケカンバやシラビソの樹形もこの辺りまで高度を上げると、次第に小ぶりになってきた。 
そして、所々に緑濃い這い松が現われだした。 

風が当らないせいかかなり大き目のものが目立つ。 
それに、シャクナゲの姿も見え出した。 
葉の薄いハクサンシャクナゲである。 
植生の変化を感じつつ、確実に高度を上げている証拠だ。 


もう間もなく森林限界だろう。
馬の背ヒュッテからは急登をひと登りで馬の背の稜線に出たようだ。
標識が行く手を案内してくれる。

この稜線上は丹渓新道の合流点でもあり、ここを過ぎたあたりから次第に樹木が疎らとなり、稜線からは一気に360度の展望が得られるはずである・・?。



彼方より時折、
「ウオーッ」、 「シーッ」、 「ウオーッ」、 「シーッ」、という猛獣が唸るような掛け声が響いてくる。
10人前後の若い、たぶん高校生のパーティらしく、全員が背中に巨大なキスリングが圧倒している。 

ワンゲル部(ワンダーフォーゲル;ドイツ語のWandervogelの意味で、青少年による野外活動を表す)の秋季合宿トレーニングらしく、気合もろとも上っている。

「ウオーッ」、「シーッ」と聞こえたのは、「ファイト」、「ソレッ」という掛け声であった。


ピッチはこちらのほうが速いので、間もなく追いつく。
「お疲れさん」 労い(ねぎらい)の挨拶を交わすと、
「有難うございます」とはっきりした返事を返してよこす。
「どちらから・・?」
松本です」という。

最後尾のキャプテンらしいのが、
「チョット脇へ避けてください」と、小生の追い越しに気を使ってくれる。
追いたすたびに“こんにちは”と挨拶が返ってくる。 
何か清清しい気持ちである。


松本の何処の高校かは聞かなかったが、若しかしたら”松本深志高校“であろうか・・?
松本深志高といえば、10年ほど前に大きな山岳事故を起こした学校として、記憶にまだ残っている。


1967年(昭和42年)盛夏、松本市の松本深志高校の登山パーティーが、北アルプスの西穂高岳に集団登山を行なっていた。 参加人数は教員5人を含む計55人で、日程は松本市を出発、上高地で一泊し、朝から西穂高に登山して翌日下山、松本市に帰る予定であった。
参加者のうち46人が登頂したが、正午過ぎから天候が悪化し、大粒の雹(ひょう)まじりの激しい雷雨となったためパーティーは避難を開始。 避難のため下山途中の午後一時半頃、独標付近のガレ場を一列で下っていたところに雷の直撃を受けた。 これにより生徒8名が即死、生徒・教員と会社員一人を含めた13名が重軽傷を負い、生徒3名が行方不明となった。 結局尾根から300メートル下ったガレ場で3名とも遺体となって発見され、これにより死者は計11人となった。
事故の影響は、登山中のみならず通常の落雷事故としても一度にこれほどの死者・負傷者が出た前例はなかったこと。 そのため新聞各紙が一面で報じるなど大々的に報道され、全国に衝撃を与えた。 学校登山の歴史に残る大惨事であり、県下ではこの事故の影響で登山行事を一時的に中止、または廃止した学校も少なくなかったという。


次回、「再び女性連




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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(44) 「再び女性連」  .



 
 馬の背より遥かに仙丈ヶ岳を望む



松本の高校ワンゲル部の10人パーティを追い越して、気が付くと稜線上はダケカンバやナナカマドの木が疎らに生える程度で、主体は這い松帯や高山植物などの見通しの良い尾根に変わっていた。

今度は、100メートルくらい先にレイの三人女性のグループが見え出した。 
長衛山荘で同宿し、籔沢小屋で先行した、あの女性達であった。

姿を拝見すると、何となく力が湧いてくるのが判るから不思議である。 
登行ピッチはやはり小生の方が速いようで、見る々々うちに追いついてしまった。 

籔沢小屋で出立しようとした際、“間もなく追いつきますよ”と、冗談交じりに言ったことが、ここで現実になった。


彼女たちは気が付いているのか、いないのか、黙々と歩んでいる。
追い付いて、暫くはつかず離れず歩みながら、それとなく逆説的な不真面目な言い回しで一言・・、

山はイヤですね・・! 」と言ってみた。

最後尾の彼女は片腕に上着か雨具らしいのを抱えていて、突然でビックリしたのか、
ハァー・・?! 」と頓狂な声を出した。

一瞬、困惑しながら荒い息遣いで、満足な返事が出来なかったことを後悔しているみたいでもあった。 
そして、気が付いたように呼吸を整えて・・、

でも、これが3000メーの山ですよね 」と、真面目に返してきた。 
不真面目でもよかったのにとも思った。


「何十回登っても、この瞬間だけは遠慮したいですよね」

「そうですね」 女性は素直に同調した。

「歩いているときは両手をできるだけオープンにしてたほうが楽ですよ」

「そうですね・・・?!」と曖昧に答える。

疲れているのだろう・・?、余り話しかけるのも気の毒と思い、後は4人で・・?、黙々と歩む。

小生が自然と最後尾となっているので、どうしてもすぐ前の女性の後姿が目に留まる。
チラッと目にすると、程よく発達した女性のなだらかな線が妙にまぶしく感じられるのである。


歩調を合わせるように暫くは同調同行していたが、さすがに見知らぬ女性のすぐ後ろに付いているのは男として失礼だし、こちらも些か気が咎める。

特に、“お先にどうぞ” とは言ってはくれないため、こちらから「失礼しますよ」と言って、それとなく追い越して三人の先頭に出た。
今度は小生が先頭で、4人パーティのように進みだした。 

同行でいいのかな・・?、迷惑かな・・?と思いながらも、何か仄々(ほのぼの)とした感触である。

暫く同行しているうちに、先頭の女性がついに、
ご一緒させていただいて有難いですけど、私達チョット疲れているようなんでゆっくり参ります。 宜しければ、お先にどうぞ。」

決して同行していることを拒否するんではなく、小生に気を使っての発言であることが察せられる。 
気が付くまでもなく中を歩いている女性が、やや、バテ気味で気の毒にも思っていたところでもあった。

小生はどちらでもよかった。 
それでも言われるままに・・、
そいじゃお言葉通りにします。 山は決して逃げませんよ。 ゆっくり、ユックリ時間をかけて一歩一歩進んでください 」


次回、「籔沢カール




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