カスタム検索

南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(41) 「馬の背ヒュッテ」

目次)              山行記録   旅と山旅   関東百名山   日本百名山 

【本文関連情報



(標題はブログにリンクします)


 (1分毎に美女と時刻が変わる現在時間表示; クリックすると都道府県の時計美人が見れます・・!!。  
 クリック=時計美人
 美人時計 ; http://www.google.com/ig





 南ア・仙丈ヶ岳紀行(41) 「馬の背ヒュッテ」  .


 
 藪沢の分岐標識


 
 旧馬の背小屋


 
 新装成った馬の背小屋



地図を観察するとこの籔沢小屋から500mも行かないうちに籔沢本流が流れ、その先にも「馬の背ヒュッテ」がある。 
この辺り小屋が示すとおり仙丈ケ岳への登山道が集中している所でもある。
小仙丈ケ岳の尾根道、籔沢本流からの道(渓流登りでなく一般道らしい)、丹渓山荘から遥々やってくる馬の背の尾根道、そして、こちら籔沢小屋の道と多彩である。


15分ほど休憩して籔沢から馬の背へ向かう。
ナナカマドの実が真っ赤に色付いている。 
花の色香少ないこの時期、緑の中に混じって目を楽しませてくれる。 
今頃(10月中旬)は山間ではいよいよ紅葉のシーズの始まりで、これが次第に下界に下りてゆくのでああろう。


空模様は、秋の澄んだ空気とは言えづ、相変わらずガスに閉ざされている。 
それでも気のせいか明るくなっている気配を感じる。 

これから見通しよい稜線に出るのであるから、晴れて欲しいと願うばかりである。 
引き換え、体調のほうは、まずまずである。

一時を歩き、林を抜けると急に視界が広がった。 
気が付くと正面は深い谷になっている、籔沢本谷であろう。

そのまま、谷筋にそって進んでゆくと、谷は急上昇してきて遂に山道と合流するようになる。
谷を渡ったところで、峠の大平小屋からスタートしている籔沢道(籔沢新道)と合流した。 
見渡したところ、谷筋とはいえ谷そのものがかなりの急角度で落ちているのが判る。 
従って、谷沢に沿った道は相当な登りは上りの降りは下りの連続であることがワカル。

沢水の飲み場があったので、ここでも喉を潤す。 
沢が大きく明るいせいか先程、林の中で飲んだ水より温く感じたが、体調のせいかな・・?。


籔沢の水は半ば滝のような流れで、ザーザーと水音高く落ちてゆく。 
本沢、枝沢ともやがて戸台の谷へ合流し、小黒川、そして美和湖を経て天竜川へ注ぐ。
この籔沢の上流部は、やがて仙丈ケ岳直下に達し、有名な「籔沢カール」を形造っているのである。


正面は見上げるような山並みが横たわっている。 
仙丈ケ岳へ連なる馬の背という巨大な尾根であろう。 

稜線は樹林帯になっていて実際のところは判らないが、この道はやがてあの尾根に達しているはずで、即ち、あそこまで高度を上げるために更にアルバイトを強いれられるであろうことは確かである。 
見上げていて、些か、憂鬱な気分にもなる。

気が付くと、今まで全くと言っていいほど効かなかった視界が、かなりの距離で鮮明に
見渡せるようになってきている。 
有難いことである・・!。


一息入れながら沢の渓谷美を眺めを楽しんで、いよいよあの馬の背の大尾根に取り付く。
ダケカンバ、シラビソの林の中の急な登りである。 
それでも道はジグザグになっているので差ほどの勾配ではない。 

しかし、「大滝の頭」の分岐を超えてから差ほどの勾配のない、比較的ゆるい上りだったためか、ここへ来てこの上り坂は些か身体に効いてくる。

そのうち上方が次第に明るくなってきて、そしてパッと視界が広がった。 
そして、いきなり正面に「馬の背ヒュッテ」が現われた。

この地は、仙丈ケ岳・馬の背の巨大な尾根の一角であり、従って山腹も急斜面で谷へ落ち込んでいる。 
ところがこの辺りの一帯はダケカンバの林の中とはいえ、平に開けているのである。 
林も疎らになっていて、亜高山性の草植物(高山植物)も多彩に生えていて、展望も良さそうである。


山小屋情報
馬の背ヒュッテは仙丈ヶ岳中腹、馬の背の山腹にあり、標高2640m地点に建つ山小屋である。 籔沢ルート、大滝の頭コース、チョッと逸れるが丹渓山荘からやってくる丹渓新道と立地に恵まれていて、北沢峠からは2,3時間という好ロケーションとも相まって比較的人気が高いようである。 木造2階建ての建物は主に1階部分が受付けや管理食堂スーペスで、2階部分が大部屋の宿泊用で収容人数は凡そ100名と比較的大規模であろう。 だが、どこの山小屋もそうであろうが、やはり夏季の最盛時期には混むようで、寝るスペースも当然狭くなり周りのお客さんとの協力が必要になってくる。 小屋の創設は1961年(昭和36年)、1989年(昭和64年)に現在の小屋に改築した比較的新しい山小屋である。   オーナーの上島氏は「親切 丁寧 明るく 楽しく」をモットーに、小屋からの展望も良く、ご来光は最高ですと言う。
営業期間;7月初旬〜10月中旬    


次回、「鹿害




 


【本文関連情報





  南ア・仙丈ヶ岳紀行(42) 「鹿の害」   、  



 
 鹿除用の防護ネット



近年、小屋の周辺は鹿予防の柵が施してあるらしい。

ご存知、馬の背ヒュッテ周辺から馬の背、そして稜線沿いから山頂周辺は高山植物の宝庫としても有名である。 
ところが小屋の周りから馬の背のお花畑は鹿の食害で全滅に近い被害をうけているという。 そのための防護柵であった。

小屋の主人が言うには「私たちは鹿が増えたからと言っても鉄砲で撃てない。 国立公園と言う事を鹿も良く知っているよ。だから鹿は皆こっちへ逃げてくるョ。」と。 

そういえば北海道や日光で鹿による高山植物の被害が深刻な状態である、とニュースでも報じられていた。  



地球規模の温暖化によって動植物の生態が変化しつつあるともいわれ、それに伴って動物たちの行動範囲も広くなってきているのかもしれない。 
それに人間が伐採や植林政策によって動物の本来住むべき地域から追い出されたとする見解もある。 


或る専門機関によると、
温暖化と農山村の環境の変化が原因だ・・!!』 と指摘する。

昭和53年と平成15年を比較すると生息域はニホンジカで約1・7倍、イノシシで約1・3倍、サルで約1・4倍に広がっているという。

イノシシやシカは、積雪が深いと動けなくなってエサにありつけず、病弱な個体は死んでしまう。 
しかし温暖化が進み雪が少なくなったことで、越冬できずに死ぬケースが少なくなったという。


「仙丈小屋」の管理人・宮下氏は、

『昔はニホンジカは2000メートルくらいまでしかいなかったのに、今は3000メートルで見かけることもある。 ニホンジカが活動していた1000メートルから1500メートルあたりで雪が少なくなった』と話している。

ニホンジカの活動範囲が広がったため、高山植物のお花畑は踏み荒らされて壊滅的な状態になっているという。
いずれにしても鹿や猿が増える事は、自然のバランスが崩れているのも一つの原因であることは確かであろう。 

だが、鹿や猿、熊にしてみれば、高山の植物を食することは太古からの慣わしであり、摂理でもあったろう。 
それは、生きるための必然かもしれないのである。

よく言われることは、動物が人間界に近いずいたのではなく、人間が動物のエリアに近づき過ぎたのだと・・!。


次回もお楽しみに




【本文関連情報






  目次)             山行記録   旅と山旅   関東百名山   日本百名山 
【小生の旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
九州旅行2008
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

鎌倉・湘南紀行


「山行リスト」 

立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
南アルプス・仙丈ヶ岳(1976年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
尾瀬・燧ケ岳紀行(1973年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」




inserted by FC2 system