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南アルプス:仙丈ヶ岳
南ア・仙丈ヶ岳紀行(23) 「南アルプススーパー林道」

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(標題はブログにリンクします)


 南ア・仙丈ヶ岳紀行(23) 「南アルプススーパー林道」  .



 
 1980年(昭和55年)の「南アルプススーパー林道」の新聞記事

 

ところで、山に関する昔の日記風メモ帳を捲り(めくり)ながら、この記事を書いているが、ページの間に当時の南アルプススーパー林道の開通の様子を書いた新聞記事の切抜きが間に挟まっていたので、ここに紹介しておく。



南アルプススーパー林道建設」経緯 (当時の朝日新聞)

【 南アルプススーパー林道建設工事に関して、「南アルプスを開発から守れ」という自然保護団体の運動で、長野県、山梨県を跨ぐ北沢峠周辺の工事が6年間に亘って凍結された。 そして着工から通算13年かかって南アルプススーパー林道(56・9キロメートル)は1980年(昭和55年)に完成した。 自然保護団体は「60年代の開発ブームに乗ったこの林道が、今後どのような結果をもたらすか、80年代は監視の時代」と称している。 当時の構想が大きく後退したことから一時、「スーパー」の文字が消されたのも、建設当時の曲折を物語っている。 そも、この林道工事の始まりは1952年(昭和27年)から10年かけて、芦安村から北岳(3192m)の麓、広河原までの野呂川林道が完成。 その後、構想が飛躍して南アルプスの森林開発、過疎地の観光誘致、レジャーを発展させる目的のスーパー林道としての工事がはじまった。 これに対して、自然保護団体は国立公園特別保護区域・亜高山帯の美林が破壊される。 フォッサマグナ(大地溝帯)の地盤の弱い場所なのに工事が荒っぽく完成後の維持、補修に莫大な費用がかかる。 営林の為の林道が、その名を借りた観光道路に化ける恐れがある。 などと反対の火の手を挙げ、観光か自然保護かの議論が沸いた。 環境庁が北沢峠の頂上部分両県にまたがる双方1.5キロメートルについて工事を凍結したのが1973年(昭和48年)。 この後、開通促進派の陳情、自然保護派の反対運動と攻防が続き、環境庁も裁断に苦慮する。 5年後になって・・、
★ 峠の道路幅3.5メートル
★ マイカー規制
★ 特別保護区域を見直して拡大する
などを条件にお互いが同意する。
そして、1979年11月工事が完成して、森林公団(工事関係)から山梨県と長野県長谷村(管理関係)に移管された。 総工費49億円(国庫3分の2、地元両県3分の1)に上った。
当初の多目的な「スーパー林道」もあいまいな形の道路になり、未舗装で、林道としても狭く、危険なカーブも多い。 開通したものの道路状態が悪いため「当分の間、マイカー禁止」。 運輸省の認可が下り次第、両県でマイクロバスを11月頃までのシーズン限定で運行する。 一方、「一種保護地域の見直し」については未解決。 更に管理を任された地元自治体にとって、この山岳道路の維持管理で「金食い道路」の懸念もある。 自然保護団体は、行政側が今度の開通を実績として、将来、再びスーパー林道への整備、工事へ動き出すことへの不安も捨てきれないとして警戒している。 】
( 1980年;昭和55年6月11日;水曜日、 朝日新聞記事 )
 

地元、伊那谷出身で元朝日新聞記者の「本多勝一」という言論人がいた。
下伊那郡大島村上新井(現、松川町)にて生まれ、後半生は自由な人生を生きようと、大鹿村で酪農を志している。
大学時代山岳部に属し、各地の山や海外探検も行っていた自然人でもあり、特に北海道には造詣が深く、愛着があったらしい。
自由と自然がなによりも人間には大切だと彼は言い切り、そんな中で、彼を最も怒らせたのが地元が行おうとした「南アルプススーパー林道」の建設であった。 
この自然破壊計画に猛然と反対運動を起こした。 

しかし、生活優先の地元村人は彼の行動に対しては冷淡であったと言い、自然と人間の板ばさみに会い苦慮したともされている。


彼の著書:『日本環境報告』(出版社:朝日新聞出版)に、「南アルプスの原始林を守れ」、「わが故郷は死んだのか」、「スーパー林道と地元住民の悲願」などと項目をあげて、詳しく著している。


上記、朝日新聞の記事は彼が書いたかどうかは定かでない。


次回、「若者登山者




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 南ア・仙丈ヶ岳紀行(24) 「若者登山者」  .

 
  
雨は止んだ・・!

若者は小生の4〜5メートルの後ろから、付かず離れずのほぼおなしペースで付いてきている。 
特に小生を追い越そうという意識はないようだ。

若者は最近流行のヨーロッパスタイルの縦長の大きなザックを身に着けていて、如何にも山慣れしている感じである。 
ただ、雨は止んでいるのに未だ黒いコウモリ傘を差していて、何か滑稽にも見える。


八丁坂」の急坂をやりすごしてホッとしたのはよいけれど、その後のダラダラの登りも結構身体にきつい。 
昨夜の寝不足、否、不眠状態がここへ来て出たきたかな。


雨音が止んで静まりかえったせいか、今度は遥か右手より微かに沢音が聞こえているようだ。峡谷に反射して聞こえてくるのであろうか・・?。

この辺り「藪沢」がグーッと接近しているところでもある。
気が付くとこの藪沢に向かって、鮮明ではないが一筋の道が延びていた。 
一般登山者の道ではないようで、藪沢の渓流を詰める沢登りのエキスパートコースかもしれない。


正面を見ると再び樹林帯の急激な登りが始まるようである。
その前に一息入れる。 

若者もニコニコしながら小生同様立ち止まる。

さすがにこの辺りへ来ますと身体にこたえますね

そうですね」 

若者は同意の返事をかえしてくるが、実際は全く意に介さないようでもある。

さあ、参りますか」 

と、思わず同行者の如く声を掛けてしまう。



山肌はかなりの急斜面であるが、山道は思っていたほどでもなかった。
それでも一歩一歩、両手を腰に当て、歩数を数えながら(苦しくなったり、かなりの急斜面の場合は歩数を百までの繰り返しで、数えながら登ることにしている)前進する。


曲がり道などで若者の様子を伺うと、決して楽とまでは言わないまでも何か平然として歩を進めているようである。

お先に、どうぞ“と言いたいところであるが、ここまで同行してきたのに突き放すようで言い出せなかった。


登りきったところは、やや開けた場所で、先ほど見えていた林道が再接近して直ぐそこに見えている。


次回、「峠へ・・、」




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