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南ア;鳳凰三山紀行
南ア・鳳凰三山紀行(12) 「孝謙天皇の父」

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  南ア・鳳凰三山紀行(12) 「孝謙天皇の父」  .



奈良法皇(当時の孝謙天皇)は甲府盆地郊外の韮崎の西にこんもりとした神聖な山・苗敷山の評判を伺って登拝することにした。
山頂に立って優れた周囲の山々に驚嘆し、特に鳳凰山(当時は、大鳥の峰)を眺めて、その山様の輝けるような特異さに感銘を受け、何時かはアノ山に登って観ようと感じたのであろうか・・?。


因みに、孝謙天皇の父とは、かの仏教に教化された聖武天皇である。
奈良期における古代は、政治と宗教が分けることのできない、密接な関係にあった時代であった。
聖武天皇が737年頃から、天変地異、飢饉、流行性の病などのその対策として、奈良の都に巨大な大仏(盧舎那仏)を建立した。

それは、鎮護国家(国の災いをしずめ、平和にすること)のための大仏を造り、人々の不満のエネルギーを大仏づくりという大規模な事業に向けさせることで、人々の心を一つにしたいという願望もあった。
更に、全国の国府(国衙)において、国ごとに国分寺や仏像を建てさせた。
このことは、当時の天皇が政治を行ううえで、宗教のもつ超自然的な力を必要としていたことを示している。





さて、平安時代の甲斐の国の国府は、現在のところ確かな場所は確定されていないようだが、八代郡の御坂町国衙地区(こくが 現、笛吹市)ともされている。 
そして、甲斐国分寺はこの地の至近にあったとされていて、発掘調査の結果いくつかの礎石が発見されている。
甲斐国分寺は、東西220m、南北225mの寺域を持ち、中門から廻らした回廊の内部に塔を置くなど、大官大寺式伽藍配置(官寺とは天皇が建立し朝廷によって経営される国立の寺院のこと、大寺とは文字通り大きな寺、重要な寺という意味である)であることがわかっていて、国分寺の在りし日の姿を語っている。
現地には、史跡甲斐国分寺址の碑や聖武天皇勅建古道場といった碑が立ち、大正11年(1922)に国の史跡指定を受けている。

又、この地には甲斐の国・一宮(浅間神社)や甲斐国の総社である甲斐奈神社(一宮町)が鎮座している。
このあたりは桃の花の美しい所であり、南アルプスと満開の桃は、まさに甲斐の国の最も美しい好処といわれる。
浅間神社といえば甲斐の国には、本社である富士山も聳える。


聖武天皇が病に倒れて重態に陥った後、皇女・皇太子であった孝謙天皇(第46代)に位を譲った。 
しかし、病弱だった孝謙天皇は僅か9年で次代の淳仁天皇(第47代)に譲っている。

聖武天皇同様、仏教に帰依(神・仏などすぐれた者に服従し、すがること)していた孝謙天皇(この時点では上皇、法皇)は、病を癒すとして東海道から富士を眺め、甲斐の国に入って甲斐の国府(国衙)や国分寺を巡視され、その後、奈良田の湯治場に向かったと想像するのである。


次回、 「鳳凰山私説






                
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