南ア;鳳凰三山紀行 南ア・鳳凰三山紀行(10) 「早川町奈良田」 御座石⇒⇒燕頭山⇒鳳凰小屋⇒地蔵岳⇒観音岳⇒薬師岳⇒南御室小屋⇒苺平⇒杖立峠⇒夜叉神峠⇒芦安 |
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(標題はブログにリンクします). 南ア・鳳凰三山紀行(10) 「早川町奈良田」 . 古代奈良期の甲斐の国は、孝謙天皇(奈良法皇)に纏わる数多くの伝説・伝承を残していると言われる。 山梨県早川町に奈良田という山深い一画がある。 武田信玄から商売諸役免許(賦役税の義務を免除したもの)をうけて以来明治まで、甲斐の国800有余カ村のうち、ただ一村だけ無石、無高であったという地域である。 奈良田というのは現在でも不思議な曰く(いわく)のある土地らしく、その一つにこの地域に孝謙天皇がご遷居したという伝説があり、居宅跡には簡素ではあるが「奈良法皇神社」というのが建立鎮座している。 そして、それにまつわる七不思議などもあり、隔絶された山村としての生活用具や風俗習慣など民俗資料が豊富であるという。 また近年では、この地方の方言が関東地域の中にありながら、関西系のアクセントであったり、多くの古語があったりして注目されているという。 隔絶した土地ゆえに、千数百年前に孝謙天皇一行から受けた影響がそのまま残されているのかもしれないし、歴史文化学の関心をそそられる土地である。 近くに奈良田湖、県営奈良田発電所、奈良田温泉があり、奈良という名称がついているのに興味をひかれる。 面白いのは、町営の奈良田の里温泉の名称が、「女帝の湯」としている。 奈良田温泉は古代から湧き出る名湯とされ、当地に残る孝謙天皇の伝説によるとこの地で八年間、この温泉で療養、湯治を行ったと伝えられてられている。 奈良田の地名は孝謙天皇、後の奈良法皇が由来となっているともいわれる。 鳳凰三山と関係の深い山の一つに苗敷山(なえしきさん)っていう山がある。 平安時代の遺跡が山の上にあるり、「甲斐国志」(江戸時代の地誌)信仰の山と して書かれているという。 今でも信仰の山として地元で慕われていて、山の上には穂見神社奥宮があったり、古寺の の礎石も残っている。 数年前に発掘調査で、竪穴住居跡も発見されている。 今、山梨県埋蔵文化財センターで発掘調査していて、平安時代の頃から信仰の山として崇められていることが判明している。 甲府盆地から鳳凰三山を眺めると手前に牛が寝そべっているような山で、これが苗敷山である。 平安時代に、標高千bの山の斜面を造成して竪穴住居が作られた形跡があり、しかも重なり合って竪穴住居跡が見つかっている。 又、大量の土器や陶器も発見されていて、長い期間にわたって山の中での信仰に関わる生活が営まれた証拠とされている。 元より、苗敷山は古くは平安時代より続く神道と仏教が融合した山岳信仰の山とされてきたが、しかし明治時代の廃仏稀釈により神社としての道を歩み、現在は穂見神社の社が残るのみとなっている。 次回、信仰の山・「苗敷山」
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